2020年10月30日 10:54 AM
単純細胞的な発想に基づく非合理的な練習
「科学する野球」から日本野球の精神主義,根性主義に言及している部分を引用します.
また,ゴロを捕るには,もっと体勢を低くして,マタを割れとか,フットワークはすり足でとか,それが理に反しているとも知らずに,平気でそんなことをいって指導しているコーチがいるが,これも,長距離を走ると瞬発力に欠けてくることを知らないで,ただ長距離を走らせさえすれば,下半身を強化することができると思っているのと同じく,単純細胞的な発想に基づいており,そこには合理的な指導とはいかなるものかが考えられていないのです.
その指導に合理性もないまま,とにかく長時間練習させれば選手の腕は上達するものと決めこんでいるから,千本ノックや長距離走で選手は疲労を蓄積しているにもかかわらず,ハードトレーニングを重ねさせ,その挙げ句に,肉離れ,腰痛などの故障者やケガ人などを出している.某監督などは,今の時期(キャンプ中盤)になってどこか故障のないのは,今まで何もしなかった証拠と発言していたが,これでは故障することを前提にして選手は練習しなければならないのだから,選手はたまったものではないはずです.
引用元:科学する野球・守備,走塁,練習篇,pp.41-42
日本の野球では指導の合理性は考えず,とにかく長時間練習させれば上達するという単純細胞的な発想があるようです.下半身強化のために本来必要のない長距離走のトレーニングを行っていますが,下半身を強化するためのトレーニングは他にもあるはすです.
日本のプロ野球のスプリング・キャンプでのハードトレーニングがこのような調子で行われるから,助っ人として来日している外国人選手は日本のスプリング・キャンプを嫌います.アメリカでは,コーチも選手もはっきりと目的意識を持って,キャンプ中に欠点を矯正し,強化すべきところを強化し,野球技術の上達をはかってゆきます.しかもそれを合理的に行っています.
たとえばゴロの捕球練習でも,アメリカのノッカーは体の正面に緩いゴロを打ってやり,選手が正しいフットワークでゴロを確実に捕れるように練習させます.日本のノッカーは,選手のフットワークが正しいか,間違っているか,そんなことはお構いなしに,強いゴロを打って,その強いゴロを選手が受け止められるかどうか,その結果を見届けるだけに終り,もし選手がエラーしたり,トンネルでもしようものなら,ただちに腰が高いという罵声を浴びせて,ノックの数を増やします.とにかく,ゴロを捕る基本は体の正面で,腰を落として捕るものと決めこんでおり,合理的なゴロの捕り方がカカトからのフットワークにあることを知らないから,エラーの原因はすべて腰高守備だと決めつけてしまします.そして、この腰高守備の欠点を直すにはノックあるのみと至極単純なのです.
引用元:科学する野球・守備,走塁,練習篇,p.42
技術向上が目的ならば緩いゴロを打って捕球の合理的な動作を指導すべきですが,合理性などお構いなくプロでさえ千本ノックを行っています.
選手の疲労を蓄積させて動けない様な状態で練習させることで精神力を鍛えようという意図があるようですが、技術向上には何の役にも立ちません。
不合理な練習は精神を鍛えるために必要
練習一つ採り上げてみても,プロ野球でさえも高校野球の延長のような猛練習をしたり,ゲーム前でもハードな練習をやらして,選手のエネルギーを消耗させても平気でいられるのは,根性野球,精神野球の押し売りをしているからである.
このように日本の野球は, 根性野球と精神野球で押し通してきているから,そこに芽生えた常識のウソをウソとも思わず,ただ,基本が大切,基本に忠実にと空念仏を唱えているで,野球を必要とする力はいかなる動作から生まれるかを科学的に検討しようともしないで,アメリカの野球選手のプレー中にみられる理にかなった動作を見ても,その合理性に気付くことなく,アメリカ野球との差はパワーの差に過ぎないと割り切り,参考にならないと,うそぶくに至っては何をかいわんやである.
こうした思い上がりが,合理主義野球を遠ざけ,常識のウソをはびこらせ,旧式野球のぬるま湯につからせたままにしているのである.いつまでも現状に満足して,ノホホンとしていては,日本の野球技術の進歩は望めない.特に,野球で必要とする力を生むのは,フォームではなく,合理的な動作であることに,根本的に思い改めないことには,パワーとスピードのあるアメリカ野球に追いつくことはできないのである.
引用元:科学する野球・実践篇,p.2
日本ではスポーツを純粋に楽しむという文化がなく、精神主義と結びつけられています。そのため、野球に限らず日本のスポーツ界には合理性を無視した状況が生まれています。
合理性のない練習であっても、きつさ、辛さを伴えば精神力が鍛えられるからよしとする風潮があります。試合の中で精神の強さが試される場面があるので、普段から鍛えておかねばならないという考え方です。選手が疲労蓄積して故障するリスクなどお構いなしです。
引用文からもわかるように、村上氏は合理性を追求せず、根性野球と精神野球で押し通してきている日本野球界の体質をひどく嫌っていました。この体質は現在も脈々と受け継がれており、今後も続いてゆくと思われます。