「科学する野球」野球とゴルフの違い-新田打法では飛ばぬ

目次

新田打法とは

 「科学する野球・打撃篇」から新田打法について記載されている部分を引用します.

 いまは世をあげてのゴルフブームですが,プロ野球界も例外ではなく,監督,コーチ,選手のほとんどがゴルフをプレーし,ゴルフも野球も同じだとか,野球もゴルフも同じだとかいって,バッティングにゴルフ理論を採り入れて,訳のわからない打撃理論が横行しているようです.

 もっとも,ゴルフ理論が野球に採り入れられたのは最近のことではなく,三十年も前に新田恭一氏が唱えられた「新田打法」はゴルフ理論を根拠にされたものでした.

 しかし,野球とゴルフとでは,球の条件と球を飛ばす目的と道具の構造が違いますので,腰や肩の回し方,ヘッドアップ防止のための顔の向き,バットとクラブのタメ方などに違いがあるのは当然で,それで,バッティングでゴルフと同じ動作をやらそうとするのは間違いなのです.

 それで私は,いまから二十年余り前の昭和三十八年に,デイリー・ルック紙上で,「新田打法では飛ばぬ」というエッセイを発表し,球界に警告を与えたのですが,いままた同じような過ちを犯しているので,バッティングでゴルフと同じようなフォームで打ってはいけない理由をここに重ねて述べておきます.

引用元:科学する野球・打撃篇,p.184,188

 続いてウィキペディアから「新田打法」について説明している箇所を引用します.

長年野球選手として鍛えたカンの鋭さと、理論的な研究法はこの後、下半身先行のダウンスイングを理論的根拠とした新田理論(後述)の提唱に至る。野球の動作について初めて本格的に研究した人物が新田といわれる.

新田の指導を受けた最初の野球選手が小鶴誠で、小鶴は1949年首位打者、1950年には161打点、143得点、376塁打という記録を打ち立てた。新田が元ゴルフ選手だったこともあり小鶴の打法は「ゴルフ・スイング」と呼ばれ当時の流行語になった

他に”新田式打法”とも”近代打法”ともいわれ近藤唯之は、これを”合理的打法”として、この理論ほど完成された理論はないと評価している。反面、小鶴や、同様に新田理論を取り入れた三村勲も一時好成績を上げたが腰を痛め選手寿命を縮めた。

引用元:ウィキペディア

新田打法では飛ばせない理由

 『「科学する野球」野球でゴルフをしてはいけない理由で述べたように,新田打法(ゴルフスイング)では飛ばせない理由があります.

ボールを強打するためには,打ち返す方向に対して肩とバットを90°に交わらせることが必要
引用元:科学する野球・ドリル篇,p160,図①

新田打法(ゴルフスイング)では飛ばせない理由

  1. ボールを強打するためには,後ろ腕でボールを押し込むことが必要.
  2. 後ろ腕でボールを強く押し込むためには,打球線(弾道)に対して肩とバットを90°に交わらせなければならない.
  3. 肩を回さなければ,2を実現できない.

 以上の理由により,肩を回さない新田打法(ゴルフスイング)は否定されることになります.

新田打法の優等生といわれた小鶴誠選手

 村上豊氏は 「新田打法」 を完全否定していますが,ウィキペディアによると,新田氏の指導を受けた最初の野球選手が小鶴誠で、小鶴選手は1949年首位打者1950年には161打点、143得点、376塁打という記録を打ち立てたということです。

 この打点,得点,塁打は未だに破られていない日本記録となっています.

 ここまで読まれた方は,小鶴選手がこれだけの成績を残したのだから,「新田打法」は正しい打法であると思われるかもしれません.

引用元:科学する野球・打撃篇,p.185

161打点(日本記録)はラビットボールのお陰?

 小鶴誠選手が活躍した1949,1950年はラビットボールが使用されていました.

ジュン石井製ラビットボール(1948年~1950年)
 現在は話題に上がることが少ないが、元祖ラビットボールと言うべきボールである。

 そもそも戦前から戦後すぐのボールは現代の目から見ればいびつな粗悪品で全く飛ばなかった。事実、1947年以前の年間最多本塁打記録は大下弘の20本塁打(1946年)、それ以前は試合数が少ないとは言え、中島治康(1938年秋)・鶴岡一人(1939年)の10本塁打という有様であった。

 そこでボールメーカーのジュン石井の社長だった石井順一が機械を使って良質なボールを作る技術を開発。1948年シーズン終盤から公式戦でこのボールが導入されると一気に本塁打が増加した。1949年には藤村富美男(大阪)が46本塁打を放ち、大幅に記録を更新した。そして、このボールは大変良質な飛ぶボールとして「ラビットボール」と命名された。

 さらに翌1950年は、ラビットボールに加えて、セ・パ分裂に伴ってチーム数が2倍になり、7球団がプロ野球に新規参入。

 これらの球団の投手陣が総じて貧弱だったことから、強打者たちがとんでもない記録を残すことになる。

 小鶴誠(松竹)が打率.355、51本塁打161打点、藤村富美男が打率.362、39本塁打、146打点というあまりにもハイレベルなタイトル争いを繰り広げ、藤村が首位打者、小鶴が本塁打王と打点王を獲得した。

 小鶴の161打点は未だに破られないアンタッチャブルレコードとなっており、そもそも藤村の146打点を超えたのが歴代で1999年のロバート・ローズと2005年の今岡誠の2人だけである。前後の時代と比較して、あまりに突出した記録であるため、「神代の記録」とまで呼ばれたという

 小鶴を擁する松竹ロビンスの通称「水爆打線」は一試合平均6.63点、2019年シーズン終了時点で歴代最多となるチーム総得点908点を記録した。

 この異常事態を受けて、やむなくラビットボールの使用は1951年から中止。本来は粗悪な戦前のボールに代わる良質なボールを意味していたラビットボールという言葉に対して、飛びすぎるボールという不名誉なニュアンスが含まれるようになってしまった。

引用元:https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB

 小鶴選手はラビットボールが廃止された1951年以降は,目立った成績を残していません

小鶴誠 ラビットボールが使用された1948~1950と前後の打撃成績
試合打率本塁打打点
194696.2731063
1947114.211938
1948113.3051665
1949129.3612492
1950130.35551161
195197.2612485
1952119.2841749
1953130.2831474
1954121.2971572
各年度の太字はリーグ最高,赤太字はNPB歴代最高,青太字はラビットボールが使用されたシーズン
引用元:ウィキペディア

 椎間板ヘルニアの悪化があったとのことですが,打率が3割以上だったのは,ラビットボールが採用された3年間のみで,本塁打,打点も激減しています.

 したがって,1950年の突出した成績のみで新田打法」が合理的打法と判断することはできません

新田打法は正しいのか?

 この記事の最初の引用文のなかに,村上豊氏が,昭和三十八年に,デイリー・ルック紙上で,「新田打法では飛ばぬ」というエッセイを発表し,ゴルフ理論を野球に採り入れることについて球界に警告を与えたことが書かれています.

 新田打法が論理的,理論的に正しいかどうかについては,新田氏本人が自ら負けを認めています.

 新田さんは,前述の私の「新田打法では飛ばぬ」の一文を読まれたあと,知人を介して「参りました」と潔く兜をぬがれましたが,私は立派な方だといまもって敬服しています.

 どうしても野球で,ダウンスイングしたり,ゴルフスイングをしたい方は,早く野球に見切りをつけて,尾崎将司プロのようにプロ・ゴルファーに転向されることを奨めます.

引用元:科学する野球・投手篇,p.34

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