「内側側副靱帯損傷のメカニズムを完全解明⑥-外反ストレスが最大になるのはスリークウォーター」では,内側側副靱帯を損傷する原因として,次の3点を挙げました.
- 肩を固定して投げる
- 肘を突き出して投げる
- 投法がスリークウォーターであること(スリークウォーターに近いオーバースローを含む)
実際のところ,この2点だけでは内側側副靱帯損傷のメカニズムを解明したことにはならないため,他の原因についても解説します.
涌井秀章投手はなぜ内側側副靱帯を損傷しないのか?
まず,涌井投手の投球フォームを観て,内側側副靱帯を損傷する原因である「肩を固定して投げる」,「肘を突き出して投げる」という動作になっているかを確認します.
涌井投手は,肩関節最大外旋位からリリースまで,上体はそれほど前傾していないので,肩を固定して投げる投手の部類に入ります.
また,最大外旋位からリリースまで上腕が倒れているので,肘を突き出していることがわかります.最大外旋位の肘の位置とリリース時の肘の位置を比較すると,肘が肩の位置まで下がっているので,肘の突き出しがダルビッシュ有投手と同じくらい大きくなっています.
- 肩を固定して投げる
- 肘を突き出して投げる
つまり,涌井投手は内側側副靱帯を損傷する2つの動作の条件を満たしていることになります.投法もスリークウォーターなので,内側側副靱帯を損傷する投手の3つの条件も満たしています.
涌井投手は今までどのくらいの球数を投げているのか?
「トミー・ジョン手術を受ける投手が急増-その原因とは?」で述べましたが,アメリカスポーツ医学研究所(ASMI)は,トミー・ジョン手術に至る投手の傾向として,投球数が多いことを指摘しています.
NPB 投球回 通算記録(現役選手)上位10投手 2022年度シーズン終了現在 | |||
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順位 | 投手 | 投球回 | 実働期間 |
1 | 石川 雅規 | 3037 | 2002-2022 |
2 | 田中 将大 | 2688 | 2007-2022 |
3 | 涌井 秀章 | 2598 | 2005-2022 |
4 | 岸 孝之 | 2307.1 | 2007-2022 |
5 | 前田 健太 | 2271.2 | 2008-2021 |
6 | 和田 毅 | 2075 | 2003-2022 |
7 | 金子 千尋 | 2025.2 | 2006-2022 |
8 | 内海 哲也 | 2007 | 2004-2022 |
9 | 西 勇輝 | 1831.1 | 2009-2022 |
10 | 能見 篤史 | 1743 | 2005-2022 |
※引用元:https://npb.jp/bis/history/acp_ip.html ※引用元:ウィキペディア ※田中将大:NPB9年1633.2,MLB7年1054.1 ※前田健太:NPB8年1509.2,MLB6年762.0 ※和田毅:NPB15年1973.1,MLB2年101.2 |
涌井投手は実働18年で154勝143敗,2598回を投げています.現役選手の中では3位にランクされます.トミー・ジョン手術を受けた前田健太,和田毅投手よりも多い投球回数です.
- 肩を固定して投げる
- 肘を突き出して投げる
- 投法がスリークウォーターであること(スリークウォーターに近いオーバースローを含む)
涌井投手は内側側副靱帯を損傷するこの3つの条件を満たしている上に,投球回数が多い(通算投球回数3位)ので,いつ内側側副靱帯を損傷してもおかしくありません.
しかし,トミー・ジョン手術を受けることなく18シーズン投げ続けています.
涌井投手が内側側副靱帯を損傷しない理由
涌井投手がなぜ内側側副靱帯を損傷しないかというと,涌井投手の腕の振りは水平にボールを切る要素が大きくないからです.
当サイトでは,リリース後に前腕が到達する位置によって投手の腕の振りを4つのタイプに分類しています.
水平にボールを切る要素が大きくなるにつれて,リリース後の前腕の位置は次のように移動します.
- 体の手前から背面側に移動する(前→後)
- 足元から体幹,腰のあたりまで移動する(低→高)
ボールの切り方とリリース後に前腕が達する位置との関係 | ||||
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ボールの 切り方 | タイプ1 垂直 | タイプ2 垂直=水平 | タイプ3 垂直<水平 | タイプ4 水平 |
タイプ4 水平 | ——– | ——– | ——– | 体幹・腰 グラブ側 |
タイプ3 垂直<水平 | ——– | ——– | 大腿 グラブ側 | ——– |
タイプ2 垂直=水平 | ——– | 下腿 グラブ側 | ——– | ——– |
タイプ1 垂直 | 体の手前 | ——– | ——– | ——– |
※この表は目安を示したものです. ※実際に前腕が達する位置は,ステップ幅の大小,体幹の回旋の大小,上体を倒すか倒さないか,によって変わってきます. |
涌井投手は肩から下ろした垂線と上腕との角度が45°までいかないので,タイプ2の垂直・水平中間型でボールを切る腕の振りになります.
球種や投球ごとに異なりますが,4シームの場合,涌井投手はステップ足の膝あたりで前腕が止まります.前腕が体の手前で止まっていいませんが,背面側に大きく入ってもいません.
つまり,ボールを垂直に切る要素とボールを水平に切る要素の両方が入った腕の振りになっています. 重要な点は,水平にボールを切る要素が抑えられているということです.
水平にボールを切る要素が抑えられると,外反ストレスは小さくなります.
肘を突き出す向きと外反ストレスとの関係
『内側側副靱帯損傷のメカニズムを完全解明③-「肘の突き出し」によって外反ストレスが作用する』で述べたように,肘を突き出すと前腕を後方に回転させる(肩関節を外旋させる)モーメントを生じるため,外反ストレスが作用します.
前腕が後方に振られる力が大きいほど,外反ストレスが大きくなる訳ですが,肘を突き出す向きが水平に近いほど,前腕が後方に振られる勢いが強くなります.
腕の振りのタイプと外反ストレスとの関係 「肘の突き出し」を行ったとき | ||||
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タイプ1 垂直 | タイプ2 垂直=水平 | タイプ3 垂直<水平 | タイプ4 水平 | |
前腕が達する位置 | 体の手前 | 下腿 | 大腿 | 体幹・腰 |
肘を突き出す方向 | 下向き | → ← | → ← | 水平 |
前腕を後方に回転させるモーメント | 小 | → ← | → ← | 大 |
外反ストレス | 小 | → ← | → ← | 大 |
内側側副靱帯を損傷するリスク | 小 | → ← | → ← | 大 |
トミー・ジョン手術を受けるリスク | 小 | → ← | → ← | 大 |
※モーメント=前腕を後方に回転させる(肩関節を外旋させる)モーメント. ※トミー・ジョン手術=トミー・ジョン手術を受けるリスク ※前腕が達する位置は目安で,実際はステップ幅の大小,体幹の回旋の大小,上体を倒すか倒さないか,によって変わります. |
腕の振りがタイプ3,2,1へと垂直に近づくにつれて,肘を突き出す方向が下向きになっていきます.
肘を突き出す方向が下向きになると,前腕を後方に回転させるモーメントが小さくなるため,外反ストレスも小さくなります.
涌井投手はタイプ2(垂直=水平)に該当し,肘を突き出す方向が下向きになるため,外反ストレスの影響をあまり受けることなく18シーズン投げ続けることができていると考えられます.
内側側副靱帯を損傷する条件
上表の「腕の振りのタイプと外反ストレスとの関係」からわかるように,肘を突き出す向きが水平に近いほど外反ストレスが大きくなります.
外反ストレスが大きいとみなされる腕の振りのタイプは,タイプ4(水平),タイプ3(垂直<水平)までとするのが妥当です.
内側側副靱帯を損傷する投手の条件として,水平にボールを切る要素が大きい腕の振りになっていることが新たに付け加えられます.
内側側副靱帯を損傷する投手の条件
- 肩を固定して投げる
- 肘を突き出して投げる
- 投法がスリークウォーターであること(スリークウォーターに近いオーバースローを含む)
- タイプ4(水平),タイプ3(垂直<水平)の腕の振りであること